清 徳 丸       

February 27 '08

熊野灘の漁港で育ち、父が水産業を営んでいたわたしには、漁師さんは仲良しの友達のような存在である。明るい笑顔と大きな声で、にぎやかに仲間と話す姿を懐かしく思い出す。

2年前だったと思うが、わたしは漁師さん達の現在の姿を著した、塩野米松著聞き書き「にっぽんの漁師」を手に入れた。そこには後継者不足で今や消えつつある、沿岸漁業の漁師13名の話が載っている。

千葉勝浦港の漁船「清徳丸」がイージス艦「あたご」と衝突したその前夜、枕元にいつもあるその本を手にとり、羽田沖を魚場にする大田区の漁師伊東俊次さんの話を読んでいた。

「東京湾は船が多くてあぶないから、夜は船に明かりをいっぱいつけて漁をするんだ。」と伊東さんは語っていたが、その話が翌朝現実となり、あらわしようのない憤りがこみあげた。

衝突後数日の間、わたしは頻繁に流れるテレビの報道を追いかけた。
懸命の捜索にもかかわらず、消息は不明の日が続いた。
「海は寒い、寒いよ、、」と涙する吉清さん親子の家族のことばが、わたしにはなんとも切なく響いたのだった。

事故の起きた海域は、深さが1,500メートルもあるという。
今もつづく2人の捜索。事故から1週間が過ぎた昨日、家族は仲間の船に乗り、荒波のたつ海に花束を投げた。

事故原因の究明は当然のことだが、漁師さん達が安心して海に出て行ける日が一日も早く来るのを切に願うばかりである。